【雑文】じゃんけんのメタゲームが成立するまで
2016年5月18日 ポエム コメント (8)ここに何の変哲もない「じゃんけん」があります
サイコロやコイン等の数値比べから一歩進んで、相手の手が勝ち負けに影響する遊びです
二次元的から三次元的と言ってもいいくらいの進歩ではないかと思います
けれど、これはゲームかと聞かれたら多くの人は違うと言うでしょう
それではライフ制を導入しましょう
初期ライフは…3にしますか、負けたら一点ライフロス
ちょっとゲームっぽくなりました、けれどこれはゲームでしょうか?
ゲーム、とは?
例えば、このライフ版で対戦する時、片方はどの手を出すかを真面目に考えたとします
もう片方はどの手を出すかをダイスで決めます
そうしても勝率は五分五分でしょう、何かしら裏技的な物はありますが理論上は五分です
どうやっても勝率を上げられない、つまり考える事に意味がない
そういうものをゲームと言うのは少し無理があるように思います
では、ルールを1つ追加します
◆新ルール◆
「グーで勝つとダメージ二倍」
これだけで話が変わってきます、少なくとも何も考えず適当に手を出しているだけだとひたすらグーを連打されて負けます
もちろんグーだけを連打してもそれがわかるとパー連打で負けます
つまり考えて手を出す必要が生まれ、そして考える故に読み合いが生まれます
考える材料があり、考える事が勝率に結びつく
この辺なら、おそらく半分くらいの人はゲームと言うのではないでしょうか?
つまり、ゲームの最低条件はこの辺にあるのではないのかと私は思います
最低条件をクリアしたので、もうちょっと発展させてみましょうか
限定ジャンケンよろしくそれぞれの手をカード化します、手札枚数5枚、組み合わせ自由
一度使ったカードは破棄、あいこなら手札に戻す
堅実な正確ならゲームに勝てるグーを2枚、それに対抗できるパーを2枚、細かい立ち回りで使うチョキ1
攻めるタイプならグー3枚にチョキ2枚でグーを主軸にしてチョキで揺さぶるゲームプラン
コントロール嗜好ならグー1パー3チョキ1で大ダメージを防ぎつつ相手の手を読んでグーで刺してダメージレースで勝つプラン
…なんていう風に人によって個性が出てきます、ここまで来れば一応ゲームと言っていいのではないのかと
面白いとまで行かなくても小銭かメモ帳があればできるので5分かそこらの暇潰しくらいには使えるのでは?
実際、この限定ジャンケンをどこまでも伸ばしていくとMTGになるのではないでしょうか?
トップメタ、アンチ、それのアンチがあり、デッキごとの相性差があり、読み合いもある
もう一つ、系統樹を遡ってライフ制から枝分かれするルートを思いつきました
とても単純な要素を追加します「負けた方は勝った方に100円支払う」
こうすると人の思考に欲望のフィルターがかかって単純な運ゲーでも大真面目に考えてしまいます
考える、そして負けて、勝つこともある、勝ち負けの正確な原因を考える意思は老人の咳払いみたいなもので、勝った負けたの叫びの中では消えてしまいます
日本の丁半博打など単純なギャンブルは世界中にあり、そして楽しめる人がいる
この100円制ジャンケンを発展させていくといずれその1つになるのではないでしょうか
ちなみに大抵の人は負けた時の100円より勝った時の100円の方がいくらか価値があるように感じます
その差が10円なら場所を提供して一戦ごとに8円を徴収しているのがいわゆる胴元と言われる人なのでしょう
多くのゲームはじゃんけんのような単純な遊びを発展させたものなので、発展の過程を想像するとそのゲームのいわゆる本質などと言われる物が見えてくるのではないかと思ったのでこういう日記を書きました
単純な物を愛して理解するのは複雑な物を理解して愛する手助けになると思います
サイコロやコイン等の数値比べから一歩進んで、相手の手が勝ち負けに影響する遊びです
二次元的から三次元的と言ってもいいくらいの進歩ではないかと思います
けれど、これはゲームかと聞かれたら多くの人は違うと言うでしょう
それではライフ制を導入しましょう
初期ライフは…3にしますか、負けたら一点ライフロス
ちょっとゲームっぽくなりました、けれどこれはゲームでしょうか?
ゲーム、とは?
例えば、このライフ版で対戦する時、片方はどの手を出すかを真面目に考えたとします
もう片方はどの手を出すかをダイスで決めます
そうしても勝率は五分五分でしょう、何かしら裏技的な物はありますが理論上は五分です
どうやっても勝率を上げられない、つまり考える事に意味がない
そういうものをゲームと言うのは少し無理があるように思います
では、ルールを1つ追加します
◆新ルール◆
「グーで勝つとダメージ二倍」
これだけで話が変わってきます、少なくとも何も考えず適当に手を出しているだけだとひたすらグーを連打されて負けます
もちろんグーだけを連打してもそれがわかるとパー連打で負けます
つまり考えて手を出す必要が生まれ、そして考える故に読み合いが生まれます
考える材料があり、考える事が勝率に結びつく
この辺なら、おそらく半分くらいの人はゲームと言うのではないでしょうか?
つまり、ゲームの最低条件はこの辺にあるのではないのかと私は思います
最低条件をクリアしたので、もうちょっと発展させてみましょうか
限定ジャンケンよろしくそれぞれの手をカード化します、手札枚数5枚、組み合わせ自由
一度使ったカードは破棄、あいこなら手札に戻す
堅実な正確ならゲームに勝てるグーを2枚、それに対抗できるパーを2枚、細かい立ち回りで使うチョキ1
攻めるタイプならグー3枚にチョキ2枚でグーを主軸にしてチョキで揺さぶるゲームプラン
コントロール嗜好ならグー1パー3チョキ1で大ダメージを防ぎつつ相手の手を読んでグーで刺してダメージレースで勝つプラン
…なんていう風に人によって個性が出てきます、ここまで来れば一応ゲームと言っていいのではないのかと
面白いとまで行かなくても小銭かメモ帳があればできるので5分かそこらの暇潰しくらいには使えるのでは?
実際、この限定ジャンケンをどこまでも伸ばしていくとMTGになるのではないでしょうか?
トップメタ、アンチ、それのアンチがあり、デッキごとの相性差があり、読み合いもある
もう一つ、系統樹を遡ってライフ制から枝分かれするルートを思いつきました
とても単純な要素を追加します「負けた方は勝った方に100円支払う」
こうすると人の思考に欲望のフィルターがかかって単純な運ゲーでも大真面目に考えてしまいます
考える、そして負けて、勝つこともある、勝ち負けの正確な原因を考える意思は老人の咳払いみたいなもので、勝った負けたの叫びの中では消えてしまいます
日本の丁半博打など単純なギャンブルは世界中にあり、そして楽しめる人がいる
この100円制ジャンケンを発展させていくといずれその1つになるのではないでしょうか
ちなみに大抵の人は負けた時の100円より勝った時の100円の方がいくらか価値があるように感じます
その差が10円なら場所を提供して一戦ごとに8円を徴収しているのがいわゆる胴元と言われる人なのでしょう
多くのゲームはじゃんけんのような単純な遊びを発展させたものなので、発展の過程を想像するとそのゲームのいわゆる本質などと言われる物が見えてくるのではないかと思ったのでこういう日記を書きました
単純な物を愛して理解するのは複雑な物を理解して愛する手助けになると思います