Q・どうすれば上手になれますか?

極稀にこういう質問をされた時、私はこんな事を考えます

(この人は何故このような質問をしたのか?)

このような質問の意図を大きく分けると、『純粋な疑問』と『それ以外』、にわかれます(中には本当に行き詰った人もいますが)
まず『それ以外』とは、主に挨拶や嫉妬や賞賛、そのへんが混ざったもので、日常会話の一種です
なので返答も日常会話です、翌日には忘れられているような内容がベストです
つまり「努力しろ」的な答えになります

『純粋な疑問』だと結構面倒です、向こうは真剣に聞いているので適当に返すわけにもいかないです
それでも、「どうすれば上手になれますか?」と聞かれたら「努力しろ」という適当な答えしか返せないのです

このような質問をする人は大抵が未経験者同然の人です
例えるなら、広大な世界のど真ん中に体一つで立たされて、周囲の平地・島・沼・山・森のどこに行けばいいかもわからない状態です
そのような時の質問は決まっています、「どこに行けばいいですか?」
漠然とどこに行けばいいかわかっている人だとこうなります、「どうやって行けばいいですか?」

このような漠然とした質問をする人には、漠然として、なおかつ確実な答えしか出せません
つまり、みんな「努力しろ」としか言えないのです


正直、その手の疑問が出るほど経験が足りない人は、まず単純な努力が必要なくらい技術が足りてない人です
なのでやっぱり「努力しろ」という答えが適切だと思います

ここで言ってもしょうがないけど、役に立つ答えを求めているならもうちょっと具体的に言って頂けると嬉しいです
「あの平地を横断するには徒歩で何日ほどかかりますか?」
「あの島に行くにはどのような泳ぎ方が向いていますか?」
「あの沼を横切るためにはどの種類の血清が必要ですか?」
「あの山を登るためにはどれくらいの装備が必要ですか?」
「あの森の獣を倒すためどれくらい鍛えたらいいですか?」
そのように聞かれれば、こちらも自分の能力の範囲でそれなりに気の利いた答えを用意できます


それなのに才能とかの話に飛んでしまうのは、それはちょっと残念だなあと思いました
努力と才能の話って、私が軽く持論を説明するだけでも字数にして2万字は越えるような複雑な話です
それを説明するために、日々山のような自己啓発やらビジネスやらの本が出版されています
本当に上手になりたいなら、「努力だけで足りる!」「才能も必要だ!」そんな無益な殴り合いに時間を使うより、とりあえず簡単にできる努力をした方がいいんじゃないかなと

コメント

オレンジ君
2017年3月4日8:23

努力は効果が実感できるまで相当時間がかかるので、その努力する方法が正しいのか、自分に向いているのか、他にもっといい方法があるんじゃないかとまようことしきりです。努力する方法も自分で試行錯誤して確かめるしかないですよねー。なので、自分が質問する側のときも、具体的な方法が知りたいというより、現在行っている努力はあっているのか?を確認して安心したいために聞いたりします。自分が欲しい答えは、抽象的な対策より、その人が実際に行った努力とその結果どうだったか、なぜその努力だったのか、努力と結果の考察を話してもらえるのが一番ありがたいアドバイスだったかなと思います。ただ、助言を求める人は二種類いて、三日後のテストの対策なのか、三年後の受験なのか、でそれに対応する答えを用意しないとなとは思います。

ykb
2017年3月5日3:00

この辺は私もやっているのでお互い様なんでしょうけど、質問って大抵は不親切ですね
もちろん悪意なんて一欠片もない事はわかっていますけど、それだけに困る

「私は貴方がどういう状況なのか何もわからないですよ」ってことは、言わないと大抵は気付いてもらえないのです

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